老後はいつ来ますか?
老後っていつから始まるのでしょう?
時々、未来の自分に問いかけます。
想像の中の未来の自分は白髪で背中の曲がったおじいちゃん。
ですが、怪訝(けげん)そうにこちらをうかがって、今の自分にこう問いかけます。
「そもそも何歳からが老後と思っているの?」
…って。
たしかにそうですね。
何歳からが老後なんでしょう?
そこで立ち止まって考えてみました。
まずは、老後はいつから問題です。
僕の老後はいつ始まるのでしょうか?
〇〇歳を越えたら?
孫ができたら?
定年退職したら?
そもそも嫁も孫も居ないけど…???
というわけで、人生のイベントの区切りとしてわかりやすい方といえば、やはり定年退職でしょうか。
定年退職といえば、現在30代後半の僕が社会人になりたての頃は、定年退職の年齢は60歳でした。しかし、2013年に『高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(高年齢者雇用安定法)』施行され、2025年4月から「65歳までの雇用確保」が義務づけられましることになりました。ちなみに僕の前職では数年前から既に65歳定年制を導入していました。
つまり、60歳から始まると思っていた老後は、65歳からになってしまいました。老後は5年先までお預けです。定年退職の年齢一つをとってみても、諸行無常を噛みしめざるを得ません。
また、『高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(高年齢者雇用安定法)』には、以下の3点が盛り込まれているそうです。
・65歳までの定年年齢の引き上げ
・65歳までの継続雇用制度(雇用延長・再雇用制度)の導入
・定年制の廃止
これを見る限り、定年制自体を廃止する可能性も考えられます。日本は現在、高齢化社会。このまま高齢化が進めば、生産年齢人口はもっと減り、65歳定年が70歳…いや、それ以上。あるいは本当に定年制を廃止して『生涯労働時代』が来る可能性だってあります。
まぁ、そういう世の中なので、
そうなった世界の中で当たり前に
自分もそういう世の中の一員として生きていくんだろう。
そんなふうに思っていました。
特発性拡張型心筋症という難病になるまでは。
人生100年時代なんだから、定年年齢が60歳から65歳に変わったところで大差ないじゃないか。といった意見もあるかもしれません。
とはいえ、2021年の日本人とて平均寿命は男性81歳、女性87歳。
人生100年と呼ぶにはまだ遠い。
加えて健康寿命となると男性72歳、女性75歳。
健康でいられる人生はもっと短い。
ところで、特発性拡張型心筋症の僕の体はいつまで持つのでしょうか?
医者からは「5年生存率は76%」とだけ伝え伝えられました。
(実際には、その情報すらも直接は伝えられていませんが、その話は追々…。)
統計上は「5年生存率は76%」となっている。
僕が実際何年生きられるかは、医者にもわからないそうです。
医者にもわからないことななので、僕はこの「5年生存率は76%」という数字をもとに未来のあれこれを考えていかねばなりません。
5年生存率は76%。
5年で24%ずつ生存率が低下するとならば…
それまでのスタンダートだった60歳定年から65歳定年となると、延長される期間は5年の間。つまり僕の場合、僕が老後を迎えられる可能性は60歳定年の時より65歳定年の時の方が24%減るということです。
24%は約25%…
4分の1
ケーキだったら1ホール食えてたのが
4分の3しか食えなくなります。
控えめに言って嫌ですね。
脱線したので話を戻します。
5年生存率は76%。
20代後半で発症したということは、
20代後半~30歳で 生存率76%
30歳~30代後半で 生存率52%
30代後半~40歳で 生存率28%
40歳~40代前半で 生存率4%
45歳以降は、もはやマイナスの領域です。
そんな場合の健康寿命は……?
日本国民全体を通してみても、平均寿命と健康寿命の間には約10年の差があります。
例えば僕が40代前半まで生きている可能性があるとして、日常の世話を他人に任せず、健康でいられる時間は30代前半まで…ということでしょうか?
そうなると、僕が思いを馳せていた未来の自分は何歳だったのでしょうか?
老後を「未来の自分」なんて、本当にいるのでしょうか?
そこに期待して生きている自分は賢明でしょうか?
僕個人の健康寿命の想定が30代前半だとして、30代後半を迎えた今、何を思うかと言うと…。
30代前半までは確かに不自由なく動けていました。
激しい運動はできないってぐらいで日常生活はほとんど不便なく暮らしていました。
ここ数年で、できていたことが少しずつできなくなっていきました。
家事も、なんとかこなしてはいますが、やはり健常者のようにとはいきません。
できないながらに諦めたり工夫したりして成り立っています。
仕事も無理してやっていたんだな、って。
仕事を辞めた今となっては思います。
健常者並みに働ける体力ではないのに、健常者と肩を並べて、場合によっては健常者よりも働きを求められることもあって…本当に、体力は限界に近かったんだと思います。
ある時、仕事終わりに帰宅して、自室でぐったり寝転んでいた時に思ったのです。
老後があるなら多少の無理も頑張れる。
老後があるなら、ね。
定年年齢も延びた。
定年まで生きているかは分からない。
仕事も生活もままならなくなってきた。
体力は老人並み。(下手したらそれ以下)
無理をすれば寿命が縮む。
それならもう、今が老後でいいんじゃないかな…。
僕は想像していた白髪の背中の曲がった未来の自分と決別することにしました。
そういう自分を諦めたわけじゃありません。
ですが、そういう自分に期待して、いまの自分を犠牲に生きるのは嫌です。
いまの延長線上に未来があるなら…
僕は自分の体に無理のない生活から
その未来を見つけたいです。
…というわけで、社畜だった自分の人生に別れを告げ、
僕の老後は30代後半から始まります。
とはいえ、まったく働かないというわけでもありません。
働く健康世代のような足並みで人生を送ることはできませんが、僕なりの足並みでこの人生を良くしていけたらと思います。
選んだ道の先が、楽しみと喜びにあふれていますように。
これからどうぞよろしくお願いいたします。