心語(こころがたり) - カネナリさんのブログ

歌詞や歌の創作とか、持病の心臓病とか、備忘録的な雑記を思いのままに。

回想日記:4/1、曇り空。

ご報告が遅れてしまいましたが…

2023年3月31日、勤めていた職場を退職いたしました。

送別会やその後の新生活のあれこれが押し寄せて来て

物思いに浸る暇もなかったので、改めてここに書き記しながら

振り返っていこうと思います。

 

はじめは大変だったんです…

自分は大手物流系企業の現場事務職として15年ほど働いおりました。

 

守秘義務があるので詳しくは書けませんが、

右も左もわからない状態から、色々やっていくうちに

気づけば10年以上経っていました。

 

右も左もわからないうちは、

自分の部下(しかも年上)にも劣る有様だったので、

他所の社員から「どっちが上かわからないわね」なんて

言われながら働いていました。

 

部下が見ても恥ずかしくない上司であろうと、

能力が追い付かない自分は

時間を犠牲にする方法で埋め合わせをしてきました。

毎日のように残業を繰り返し、

気持ちだけ焦って、上がらない効率。

 

がむしゃらにやればどこかに届くと

ひたむきにやれば誰かが見てくれると

あの頃の自分はそう思っていました。

 

転機は意外と早くやってきました

自分に実力が無いぶん、無理をして成果を出そうとして、

無理をした結果、20代後半で「特発性拡張型心筋症」という

指定難病になってしまいました。

 

そこからの約10年は

健常者でもない

重篤患者でもない

宙ぶらりんな日々

 

年を重ねていくごとに

ゆっくりじわじわと

動けなくなっていく体と

 

誰もそれに気づかない現状と

一つずつ色んなことを諦めていきながら

一つずつ今できる自分の最大限を

再構築して確認していく毎日でした。

 

医者からは、5年生存率は76%と言われ、

それ以上の事は医者にもわからない

突然亡くなるかもしれないし

長く生きられるかもしれない

神のみぞ知る、とだけ伝えられました。

 

幸いだったのは、動けなくなっていく時間の中で

限界を知ることで皮肉にも

仕事の効率化が上達したことと、

全体の工程を割り出しておおよその計画を

立てることができるようになったこと。

 

そして全体像を計算をしてみたわけなんです

5年生存率が76%ということは、単純計算で5年ごとに24%ずつ

生存率が低下すると仮定すると…

 

20代後半で発症したということは、

20代後半~30歳で 生存率76%

30歳~30代後半で 生存率52%

30代後半~40歳で 生存率28%

40歳~40代前半で 生存率4%

45歳以降は、もはやマイナスの領域です。

 

ちなみに、5年生存率76%という数値で示される、

亡くなった24%の人の中には、交通事故などの

心臓病以外の原因で亡くなった人もいますし、

天寿を全うされて亡くなった人もいます。

 

ですので、自分はこの数値にいちいち

悲観的な感情は抱いておりませんのですよ。

 

ですが、この数値を目の当たりにすると、

「老後」を期待も楽観もできないのも事実。

 

ここ何年かの間に、定年も

60歳から65歳に引き上げられてしまいました。

 

このまま無理をして働いて

65歳まで無事でいられるのだろうか?

 

そもそも自分は

定年まで生きているのだろうか?

 

自分に「老後」はあるのだろうか?

 

悶々(もんもん)とした問いかけの中で

自分の中の

自分だけの答えが

少しずつ

輪郭を表し始めたのでした。

 

それが形になり始めて

現実味を帯び始めた話は、また次回。