心語(こころがたり) - カネナリさんのブログ

歌詞や歌の創作とか、持病の心臓病とか、備忘録的な雑記を思いのままに。

【備忘録】やりたいこと、やるべきこと。

まずは近況報告をば

突然ですが近況報告です。

 

私は現在、特発性拡張型心筋症という指定難病を患っております。2014年に発病し、2022年10月にS-ICD(皮下植込み型除細動器)の植え込み手術を行いました。その後、体調の悪化を理由に2023年の3月に職場を退職。現在は無職。失業手当と障害年金を申請しながら貯金でひっそり生活している状況です。

 

つまり、4月からでもう6月。

まる2か月が経過したというわけです。

 

特発性拡張型心筋症により、心臓が健常者の50%程度しか機能していない私は、どうやら人より動きがスローなようです。

 

人よりスローな動きということは、人よりスローな人生を送っておるわけです。

 

人よりスローな人生ということは、さぞかしゆったりのんびり暮らしていることでしょう?なんて思っている方もおられるかもしれません。とんでもございません。実は、体感はその逆です。

 

どういうことかと言うと、普通の人が1時間で終わる作業が、私には2時間かかったりするわけです。普通の人が1時間ぶんの作業を2つこなしている間に、私は1時間ぶんの作業をようやく1つ終えます。なので、体感としては「1時間ぶんの作業しかしてないのに、もう2時間も経ってるの!?」となります。

 

そんなこんなで、今日も気づけば正午も過ぎ…1日も後半戦じゃぁありませんか。

こんな調子で生きているので、1日が終わるのが早い早い。

 

以前の記事でも書きましたが、私はこの気怠くてスローであっという間な時間を無駄にしないために、3つのことを心がけています。

→過去記事:気怠い毎日を乗り切るために心がけている3つのこと

 

今日はそこで紹介した優先順位の付け方をもとに、自分のやりたいことリストを備忘録的な意味も込めて仕分けていきたいと思います。

 

優先順位を付けるポイント

私が優先順位を付けるポイントは

  1. 期限の有無
  2. 必要性の有無
  3. やる気の有無です。

 

これにもとづいて、以下の通りに仕訳けていこうと思います。

 

 優先度SSS:期限が有り、その期限が近いもの

      (期限:◎/必要性:◎/やる気:不問)

 優先度A  :期限が有るが、その期限が近くないもの

      (期限:〇/必要性:〇/やる気:不問)

 優先度B:期限は無いがいずれやれねばならぬもの

      (期限:×/必要性:〇/やる気:不問)

 優先度C:期限は無いしやる必要も無いが自分がやりたいもの

      (期限:×/必要性:×/やる気:〇)

 優先度D:期限は無いしやる必要も無いし自分もやりたいくないもの

      (期限:×/必要性:×/やる気:×)

 

今やりたいこと、今やるべきこと。

[優先度SSS]期限が有り、その期限が近いもの

           (期限:◎/必要性:◎/やる気:不問)

  • 障害年金申請(済)
  • 失業手当申請(済)
  • 父の日の準備(済)

[優先度A]期限が有るが、その期限が近くないもの

         (期限:〇/必要性:〇/やる気:不問)

  • 求職活動
  • 入院保険請求
  • 祖母のBirthday準備
  • 就活サイト登録
  • 履歴書等作成

[優先度B]期限は無いがいずれやれねばならぬもの

         (期限:×/必要性:〇/やる気:不問)

  • NHK受信料半額免除申請
  • 押し入れ整理
  • 書類整理

[優先度C]期限は無いしやる必要も無いが自分がやりたいもの

         (期限:×/必要性:×/やる気:〇)

  • 親族から依頼を受けた楽曲制作
  • ブログ更新
  • 動画撮影
  • 動画編集

[優先度D]期限は無いしやる必要も無いし自分もやりたいくないもの

         (期限:×/必要性:×/やる気:×)

  • 医療費助成の振込額確認
  • 親戚の家業の手伝い

 

まとめ

こうして見ると、期限の迫っているものは何とかこなしていけてるようですな。頭の中でグルグルモヤモヤと考えを巡らせるよりも、一度書き出してやることを見える化すると気持ちが随分スッキリします。

 

当面は、優先度AとBの項目をこなしていきながら、優先度Cの項目にも取り組んでいけるように、定期的にこのリストを見ながらがんばりたいと思います。

気怠い毎日を乗り切るために心がけている3つのこと

今日も今日とて、ダルくてね。

 

特発性拡張型心筋症という病気になってから、とにかくダルさとの闘いです。闘いというか、これはもうむしろ生涯ついてくる腐れ縁の悪友のようなものです。生涯の悪友、「倦怠感」。

 

この倦怠感に身を任せていたら余裕で4時間くらい無駄にできますし、かといって、体に鞭打ってこの悪友を全否定するような生き方をすれば、体力がミジンコ程度の私はすぐに体調を崩してダウンしてしまいます。

 

なので、私-体力-倦怠感、この三者は適度な距離感でやっていく必要があります。

 

そんな私が病気特有の倦怠感とうまくやっていくために心がけていることを独り言として残しておきます。この独り言が誰かのお役に立てれば幸いです。

 

①100%活動しようとしない

生涯、倦怠感が付きまとう身となると、とにかく動作がしづらいです。私は特発性拡張型心筋症になって病気が進行してからは、低血圧のために朝はなかなか起きられなくなりましたし、正直、動作も人より遅いです。なので、世間一般の人(健常者)ほど動けるかというと、そうではありません。

 

健常者ほど動くのは無理なのですから、健常者と同じように100%フル活動できる前提で予定や計画を進めてしまったら、計画が破綻してしまいます。破綻するとはつまり、計画に何か予期せぬ出来事や遅れが生じたときに、取り返しが効かなくなるということです。

 

健常者ですら、計画段階で予定を100%詰め詰めにすると破綻リスクが上がりますからね。計画を円滑に進めるためには、計画段階の予定を80%ぐらいに調整することが大切です。いったん80%程度に調整しておいて、余剰分の20%で計画がうまくいかなかったときの補填をしたり、余った時に残りの時間で追加の予定をこなす。計画の中に、計画がうまくいかなかった時のための時間を設けることが計画を破綻させないコツとも言えるわけです。

 

健常者で80%程度に調整することがベストならば、倦怠感が悪友の我々は60%ぐらいがベストと見ていいでしょう。

 

「100%フル活動したい!」という意気込みは大切です。私もかつてはそうでした。ですが、気持ちが空回りして体をいじめてしまっては、結局、持続的に結果を出せる状態は作れません。消耗して浪費する私の時代は終わりです。時代は持続可能な世界、サスティナブルな私、SDGsな私を求めている…はず!

 

…ということで、100%の理想を1度諦めて、80~60%程度の計画を全力で遂行する。これを信念としてみることも大事かな、と思うようになりました。

 

具体的に言うと、世間一般の人(健常者)の活動時間を、わかりやすく仕事時間と考えましょう。世間一般の人の仕事時間が8時間ならば、その80%は約6時間60%は約4時間です。なので、基本的に私の活動時間は4~6時間で計画するようにしています。

 

もっと言うと、ミジンコ並みの私の体力は3~4時間しか持たないので、3~4時間に一度は15~30分程度の休息を取るようにしています。お恥ずかしい話ではありますが、それが持続可能なレベルでの今の私のベストです。

 

②自分へのご褒美を予定に1個組み込む

生きることは試練であり、試練を乗り越えることこそが魂の成長である。…とかなんとか、ウンタラカンタラ言われたりします。ですが、私、思うのです。

 

試練ばかりではこの世はただの生きる地獄だし、否定ばかりしていたら「生涯を人生ネガティブキャンペーンで終わる人」じゃないですか。成長は大事なことですが、真面目さと自虐、謙虚さと自己否定をはき違えて生きてしまうことは存外恐ろしいことなのです。成長どころか、自分をボロボロにしていく可能性すらありますからね。

 

なので、人には時に人生の「旨味」も必要。それが例え目の前のニンジン的なものだとしても。旨味があるから頑張れる。推し活があるから辛い仕事も乗り越えられる。むしろ、辛い仕事は甘美な推し活のためのスパイス。甘みと辛味のバランス。スイーツに意外と欠かせない塩味。そんなもんかと。(どんなもんだよ)

 

ちなみに私は特に推し活はしていませんが、過去記事『今日の一つ』でも紹介したのように、「一日にやりたいことを一つ決める」ということを実践してみております。

 

やりたいことが仕事に組み込めるものであれば活動時間に組み込みますし、仕事と関連の無いことであれば、余剰時間の範囲内で組み込みます。とにかく、1日1回は自分のやりたいことを組み込んで、充足感を高める工夫をしています。

 

 

③物事の優先順位をつける

計画段階での予定を60~80%に調整するということは、雑に言うと「出来ることが限られる」ということでもあります。計画の中に先ほどの「自分へのご褒美」も盛り込むならなおさら。計画の中で出来ることって案外少ないものです。だからこそ、私たちは計画というものが己の理想に反していかに進みにくいものなのかを思い知る必要があるのかもしれません。

 

なので、計画を進めるにあたって優先順位は必要です。

 

とはいえ、優先順位ってどうやって立てていけばいいの?というのが、優先順位を付けられない人の悩みなわけで…。かくいう私も聖人君子ではありません。むしろ逆の方に近い生き物ですので、優先順位を付けるのは苦手だったりします。

 

それでも、計画を円滑に進めるにあたって、私はなんとなく5段階に分けて優先順位を付けております。私が優先順位を付けるポイントは、①期限の有無/②必要性の有無/③やる気の有無です。

 

 優先度SSS:期限が有り、その期限が近いもの

      (期限:◎/必要性:◎/やる気:不問)

 優先度A  :期限が有るが、その期限が近くないもの

      (期限:〇/必要性:〇/やる気:不問)

 優先度B:期限は無いがいずれやれねばならぬもの

      (期限:×/必要性:〇/やる気:不問)

 優先度C:期限は無いしやる必要も無いが自分がやりたいもの

      (期限:×/必要性:×/やる気:〇)

 優先度D:期限は無いしやる必要も無いし自分もやりたいくないもの

      (期限:×/必要性:×/やる気:×)

 

結論から言うと、優先度SSS~Aは「積極的に行うもの」、優先度B~Cは「時間があれば行うもの」、優先度Dは「積極的に排除していくもの」になります。

 

私の場合、優先度SSS~Aは活動時間内に盛り込むようにしています。こちらは体調が悪くてもなるべく遂行するようにします。優先度B~Cは余剰時間で無理のない範囲で行うようにしています。体調が悪い時は遂行せずに、体調回復を優先にします。優先度Dは、自分には要らないものなのでやらない努力をしていきます。

 

例えば、仕事なら仕事での重要案件は優先度SSSなので、確実に計画に盛り込むし、優先して行います。プライベートであれば、年に数回の大掃除などのビッグイベントは優先度SSSです。あと、病気や障害関係の手続き等は期限のあるものが多いので、優先度Aとします。

 

日々の掃除などは優先度Bとします。優先度Aにしても良いのですが、体調が悪いときに無理してやることでもないかな、とも思うので。日々こつこつとやるべきことは、優先度を上げる努力よりも、余剰時間を生む努力をして、余剰時間の範囲内で無理なく行えることを目標にした方が続くかな、と考えています。

 

優先度Cは、②の「自分へのご褒美」と似ていて、己の充足のために取り入れるものです。なので、基本的にわざわざ活動時間に組み込むことはしません。ですが、例えば「この報告書を午前中で作成し終えたら、午後は単純作業メインの業務に切り替える」のように、どうしてもやりたくないSSS級の優先度の活動を乗り越えるための「ニンジン」としてあえて活動時間に組み込むことはあります。

 

優先度Dは、①期限の有無/②必要性の有無/③やる気の有無 に照らし合わせて考えてみたら、自分には必要の無いものだった。というものが多いでしょう。例えば、私にとって職場の好きでもない人との飲み会は無駄でしかありません。そもそも心疾患を抱える身としては酒も塩分の高い食事も積極的に取るべきではないので、優先度Dとして、なるべく自分の時間から排除するように心がけています。

 

こんな感じで、活動が限られる人は時間が限られます。時間が限られる人はできることが限られます。その本質は、本来、健常者・傷病者に関わらず、万人に通ずるところでしょう。

 

できることが限られる私は、できないことをもっと自覚して、できないなりのできることを持続的に行う工夫が求められます。

 

日々是精進

時々消沈

燃え尽きる前に

ご褒美を

 

そんなこんなをモットーに

 

今日も、生涯の悪友「倦怠感」と自分の体力と相談しながら、ゆるりらと生きて生ければと思います。

連絡を取る日

手紙を書こうと思った友人に、手紙を出せないまま、気づけば1年が経過していました。

 

別の友人から退職前に手紙をもらい、「連絡をください」と書かれていたのに、いつの間にか1月半が経とうとしています。

 

時々お茶をする友達も、もう半年ほど連絡を取っていません。

 

20代の頃は毎日のように誰かとあって食事をしたり、マメに連絡を取り合っていたんですけどね。病気が徐々に進行していくうちに、段々と「おっくう」になっていってしまったんですよね。

 

倦怠感がますと、動作が遅くなる。

動作が遅くなると、1日にできることが減る。

1日にできることが減ると、1日が早くなる。

 

だからね、あっという間なんですよ。

1か月が経つのも、半年が経つのも。

 

待ち望むときは長く感じるんですけどね(笑)

一日一日をこなしていくうちに、気づけばあっという間です(笑)

 

そして、日が経つごとに連絡をするのがどんどんおっくうになって、連絡する口実も失って、油断すると誰とも会わなくなっちゃうからいけませんね。

 

口実を作るために、お出かけ先でちょっとしたおみやげを買ってみたり、誕生日のプレゼントを用意していたりするんですけどね。

 

声をかけるのがおっくうで、数か月も放置してしまったりするんです。

ほんと、おっくうは敵ですね(笑)

 

だから今日は「連絡を取る」をタスクに入れる日。

おっくうは今日だけ封印。

 

手紙の返事をしよう。

たまには友人を夕食に誘おう。

数か月ぶりにあの人にも声をかけてみよう。

 

今日はそんな日で、そんな気分の日。

老後はいつ来ますか?

老後っていつから始まるのでしょう?

 

時々、未来の自分に問いかけます。

想像の中の未来の自分は白髪で背中の曲がったおじいちゃん。

ですが、怪訝(けげん)そうにこちらをうかがって、今の自分にこう問いかけます。

 

「そもそも何歳からが老後と思っているの?」

…って。

 

たしかにそうですね。

何歳からが老後なんでしょう?

 

そこで立ち止まって考えてみました。

 

まずは、老後はいつから問題です。

僕の老後はいつ始まるのでしょうか?

 

〇〇歳を越えたら?

孫ができたら?

定年退職したら?

 

そもそも嫁も孫も居ないけど…???

 

というわけで、人生のイベントの区切りとしてわかりやすい方といえば、やはり定年退職でしょうか。

 

定年退職といえば、現在30代後半の僕が社会人になりたての頃は、定年退職の年齢は60歳でした。しかし、2013年に『高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(高年齢者雇用安定法)』施行され、2025年4月から「65歳までの雇用確保」が義務づけられましることになりました。ちなみに僕の前職では数年前から既に65歳定年制を導入していました。

 

つまり、60歳から始まると思っていた老後は、65歳からになってしまいました。老後は5年先までお預けです。定年退職の年齢一つをとってみても、諸行無常を噛みしめざるを得ません。

 

また、『高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(高年齢者雇用安定法)』には、以下の3点が盛り込まれているそうです。

 

 ・65歳までの定年年齢の引き上げ
 ・65歳までの継続雇用制度(雇用延長・再雇用制度)の導入
 ・定年制の廃止

 

これを見る限り、定年制自体を廃止する可能性も考えられます。日本は現在、高齢化社会。このまま高齢化が進めば、生産年齢人口はもっと減り、65歳定年が70歳…いや、それ以上。あるいは本当に定年制を廃止して『生涯労働時代』が来る可能性だってあります。

 

まぁ、そういう世の中なので、

そうなった世界の中で当たり前に

自分もそういう世の中の一員として生きていくんだろう。

 

そんなふうに思っていました。

特発性拡張型心筋症という難病になるまでは。

 

人生100年時代なんだから、定年年齢が60歳から65歳に変わったところで大差ないじゃないか。といった意見もあるかもしれません。

 

とはいえ、2021年の日本人とて平均寿命は男性81歳、女性87歳。

人生100年と呼ぶにはまだ遠い。

 

加えて健康寿命となると男性72歳、女性75歳。

健康でいられる人生はもっと短い。

 

ところで、特発性拡張型心筋症の僕の体はいつまで持つのでしょうか?

 

医者からは「5年生存率は76%」とだけ伝え伝えられました。

(実際には、その情報すらも直接は伝えられていませんが、その話は追々…。)

 

統計上は「5年生存率は76%」となっている。

僕が実際何年生きられるかは、医者にもわからないそうです。

 

医者にもわからないことななので、僕はこの「5年生存率は76%」という数字をもとに未来のあれこれを考えていかねばなりません。

 

5年生存率は76%。

5年で24%ずつ生存率が低下するとならば…

 

それまでのスタンダートだった60歳定年から65歳定年となると、延長される期間は5年の間。つまり僕の場合、僕が老後を迎えられる可能性は60歳定年の時より65歳定年の時の方が24%減るということです。

 

24%は約25%…

4分の1

 

ケーキだったら1ホール食えてたのが

4分の3しか食えなくなります。

控えめに言って嫌ですね。

 

脱線したので話を戻します。

 

5年生存率は76%。

20代後半で発症したということは、

20代後半~30歳で 生存率76%

30歳~30代後半で 生存率52%

30代後半~40歳で 生存率28%

40歳~40代前半で 生存率4%

45歳以降は、もはやマイナスの領域です。

 

そんな場合の健康寿命は……?

 

日本国民全体を通してみても、平均寿命と健康寿命の間には約10年の差があります。

例えば僕が40代前半まで生きている可能性があるとして、日常の世話を他人に任せず、健康でいられる時間は30代前半まで…ということでしょうか?

 

そうなると、僕が思いを馳せていた未来の自分は何歳だったのでしょうか?

老後を「未来の自分」なんて、本当にいるのでしょうか?

そこに期待して生きている自分は賢明でしょうか?

 

僕個人の健康寿命の想定が30代前半だとして、30代後半を迎えた今、何を思うかと言うと…。

 

30代前半までは確かに不自由なく動けていました。

激しい運動はできないってぐらいで日常生活はほとんど不便なく暮らしていました。

 

ここ数年で、できていたことが少しずつできなくなっていきました。

家事も、なんとかこなしてはいますが、やはり健常者のようにとはいきません。

できないながらに諦めたり工夫したりして成り立っています。

 

仕事も無理してやっていたんだな、って。

仕事を辞めた今となっては思います。

 

健常者並みに働ける体力ではないのに、健常者と肩を並べて、場合によっては健常者よりも働きを求められることもあって…本当に、体力は限界に近かったんだと思います。

 

ある時、仕事終わりに帰宅して、自室でぐったり寝転んでいた時に思ったのです。

 

老後があるなら多少の無理も頑張れる。

老後があるなら、ね。

 

定年年齢も延びた。

定年まで生きているかは分からない。

仕事も生活もままならなくなってきた。

 

体力は老人並み。(下手したらそれ以下)

無理をすれば寿命が縮む。

 

それならもう、今が老後でいいんじゃないかな…。

 

僕は想像していた白髪の背中の曲がった未来の自分と決別することにしました。

 

そういう自分を諦めたわけじゃありません。

ですが、そういう自分に期待して、いまの自分を犠牲に生きるのは嫌です。

 

いまの延長線上に未来があるなら…

 

僕は自分の体に無理のない生活から

その未来を見つけたいです。

 

…というわけで、社畜だった自分の人生に別れを告げ、

僕の老後は30代後半から始まります。

とはいえ、まったく働かないというわけでもありません。

 

働く健康世代のような足並みで人生を送ることはできませんが、僕なりの足並みでこの人生を良くしていけたらと思います。

 

選んだ道の先が、楽しみと喜びにあふれていますように。

 

これからどうぞよろしくお願いいたします。

回想日記:4/1、曇り空。

ご報告が遅れてしまいましたが…

2023年3月31日、勤めていた職場を退職いたしました。

送別会やその後の新生活のあれこれが押し寄せて来て

物思いに浸る暇もなかったので、改めてここに書き記しながら

振り返っていこうと思います。

 

はじめは大変だったんです…

自分は大手物流系企業の現場事務職として15年ほど働いおりました。

 

守秘義務があるので詳しくは書けませんが、

右も左もわからない状態から、色々やっていくうちに

気づけば10年以上経っていました。

 

右も左もわからないうちは、

自分の部下(しかも年上)にも劣る有様だったので、

他所の社員から「どっちが上かわからないわね」なんて

言われながら働いていました。

 

部下が見ても恥ずかしくない上司であろうと、

能力が追い付かない自分は

時間を犠牲にする方法で埋め合わせをしてきました。

毎日のように残業を繰り返し、

気持ちだけ焦って、上がらない効率。

 

がむしゃらにやればどこかに届くと

ひたむきにやれば誰かが見てくれると

あの頃の自分はそう思っていました。

 

転機は意外と早くやってきました

自分に実力が無いぶん、無理をして成果を出そうとして、

無理をした結果、20代後半で「特発性拡張型心筋症」という

指定難病になってしまいました。

 

そこからの約10年は

健常者でもない

重篤患者でもない

宙ぶらりんな日々

 

年を重ねていくごとに

ゆっくりじわじわと

動けなくなっていく体と

 

誰もそれに気づかない現状と

一つずつ色んなことを諦めていきながら

一つずつ今できる自分の最大限を

再構築して確認していく毎日でした。

 

医者からは、5年生存率は76%と言われ、

それ以上の事は医者にもわからない

突然亡くなるかもしれないし

長く生きられるかもしれない

神のみぞ知る、とだけ伝えられました。

 

幸いだったのは、動けなくなっていく時間の中で

限界を知ることで皮肉にも

仕事の効率化が上達したことと、

全体の工程を割り出しておおよその計画を

立てることができるようになったこと。

 

そして全体像を計算をしてみたわけなんです

5年生存率が76%ということは、単純計算で5年ごとに24%ずつ

生存率が低下すると仮定すると…

 

20代後半で発症したということは、

20代後半~30歳で 生存率76%

30歳~30代後半で 生存率52%

30代後半~40歳で 生存率28%

40歳~40代前半で 生存率4%

45歳以降は、もはやマイナスの領域です。

 

ちなみに、5年生存率76%という数値で示される、

亡くなった24%の人の中には、交通事故などの

心臓病以外の原因で亡くなった人もいますし、

天寿を全うされて亡くなった人もいます。

 

ですので、自分はこの数値にいちいち

悲観的な感情は抱いておりませんのですよ。

 

ですが、この数値を目の当たりにすると、

「老後」を期待も楽観もできないのも事実。

 

ここ何年かの間に、定年も

60歳から65歳に引き上げられてしまいました。

 

このまま無理をして働いて

65歳まで無事でいられるのだろうか?

 

そもそも自分は

定年まで生きているのだろうか?

 

自分に「老後」はあるのだろうか?

 

悶々(もんもん)とした問いかけの中で

自分の中の

自分だけの答えが

少しずつ

輪郭を表し始めたのでした。

 

それが形になり始めて

現実味を帯び始めた話は、また次回。